| ●現役部員からのメール 金沢大学マンドリンクラブ現役二年生の村地と申します。 第36回定期演奏会にご来場いただけて、嬉しい限りです。 OBのホームページ、拝見させていただきました。 私達が生まれる前、マンドリンクラブとして活動しておられた 先輩方から、今回の第三十六回定期演奏会まで、 長い歴史が一年も欠かさずに続いてきているのだ、 ということを改めて実感しました。 ぜひ来年も、我々の演奏会に足を運んでいただきたいです。 金大キャンパスも角間に移転し、練習場所も、方法も大きく 変わってきているとは思いますが、当時のチーフ会、パート練習、 合奏などはどのように行っていたのでしょうか? もしお暇があれば聞かせていただきたいです。 部員の編成も大きく変わっていると思います。掲示板にもありましたが、 今マンドリンパートは男ばかりのむさくるしい集団です。 おそらく、今使っている予備楽器や、チェロ、ドラなども、 当時から使っているものではないでしょうか。 少しずつ傷みも出始めましたが、修理に出しつつ大事に使っています。 が、傷みはきても、さすがに三十何年も弾きこまれただけあって、 恐ろしいほどの音を出しつづけています。 マンドリンクラブを作り上げてきた先輩方を目の前にして、 少なからず感動を覚えメールを送らせていただきました。 お返事いただければ幸いです。 |
| ●ウッチー → 現役部員<12/26(火) 22:05:26>
村地くん、メールどうもありがとうございました。 我々古いOBとしては、若い現役部員からのレスポンス誠に嬉しく思います。 何しろ貴君が生まれる前の古〜い話であり、既に忘れてしまっているところがありますが、私の記憶にある範囲で返信いたします。 <当時の大合奏> 質より量といいましょうか、30年近く前の昔は、1学年20人位の部員がいました。従って、全員揃うと、約80人の大合奏の定演を観光会館で行ってました。勿論、多ければいいというものではありませんが、とにかく若さ(バカさ?)一杯、迫力はあったと思います。しかも、○百円の入場料をいただきながらも、結構お客さんが入っていたようです。(定演が入場無料になったのはいつの頃からでしょうか?) <練習場、部室> まだ角間キャンパスにお邪魔していませんが、きっと新しくて立派な練習場があるんでしょうね。 当時は、石川門をくぐって数十m行った右手の方に古い建物があり、それがマンクラやオケラ(金大フィル)の大練習場でした。学園祭のときもここを使ってました。さらにもう少し歩いたところに文化クラブの部室/長屋があり、そこでは、大学に来ても講義にあまり出ず、よく個人練習や雑談、昼寝等をしたものです。また、その向こうに当時としては新しい学生会館があり、3階の音楽室でパート練習?や音楽鑑賞などをした記憶があります。(学生会館から教養部、理学部方面に下りると、アカンサス書房という本屋もありました。嗚呼!懐かしや) なお、通常のパート練習についてはあまり記憶がなく、たしか春夏の合宿時に午前中はパー練、午後と夜に合奏だったんじゃないでしょうか。(どなたかOBで覚えてる人いませんか?) <チーフ会議> チーフ+指揮者で、選曲や練習日程を検討したように思います。当時は、庄源さん(現KMEコンダクター)が頑張っておられ、より高い音楽性の追求を目指し、KUMCで初めて現代音楽を定演で演奏しました。今ふりかえると、この高度化路線は若干背伸びをしたのではないかと私は思うのですが、先日のプログラムで過去の演奏曲目をみると、その数年後に再び現代音楽を定演に取りあげたことを知りました。踏襲されてたんですね。それ以降の選曲(最近のポピュラー路線等)は、時の流れでしょう。 「継続は力なり」と言いますが、本当によくぞ絶えず現在まで定演が続いているものだ、これも後輩諸氏の努力の賜物であると感謝しております。 どうか来たるべき21世紀も、KUMCがますます発展することを祈願してこの辺で、終わります。 今後ともよろしくお願いします。 ・・・・・ 上記メールを今月上旬に私から村地くんに出しました。 不正確なところが多少あると思いますので、OBの皆さん!返信で加筆・修正いただければ幸いです。 よろしくお願いします。 ///////// <追記とお願い> メールいただいた現役2年生の村地くんは、この度コンサートマスターになったそうです。 つまり、懺氏の29年後の後輩にあたります。 KUMCの後輩、現役の人たちにお願いします、 角間キャンパスでのクラブの様子などについてもこの掲示板に書き込んでいただけないでしょうか。 そういえば、第36回定演の前に角間まで足を伸ばした先輩がいたそうですが、そのときの感想は如何でしたか? |
| ●現役部員の返事<12/28(木) 02:49:37> 現役二年生、村地勇一郎です。 その節はお返事ありがとうございました。 その上掲示板でまで取り上げていただいてありがたい限りです。 この掲示板にも、書き込もうと思いつつ、タイミングを逃しつづけていました。 金沢大学マンドリンクラブOBの皆さん、 覚えている限りで当時のことなど教えていただければ幸いです。 私の方から出したメールはTOPページのほうに載っています。 よろしくお願いします。 遅くなりましたが、 松田哲夫さん、無事に治療を終えられ、元気に復帰されることを願っております。 29年後の後輩より。 ///////////// 金沢大学近況 (現役より)<12/28(木) 21:02:39> 現役二年生、村地です。 金大マンドリンクラブの近況など少々書かせていただきます。 角間キャンパスは「山奥」です。 金沢中心街から車で三十分、自転車でも約三十分という、 学生にはちょっとありがたくない立地です。 宴会をやるときなどは、寒いのを我慢して部室で騒ぐか、 角間で一旦解散の後スクランブルで集合といった形をとらざるをえません。 冬には氷点下に下がることもあり、車の鍵穴のみならず窓が凍りついたり、 道路が凍っていたりと、なかなかスリリングな所もあります。 夏になればトンビがサンドイッチを奪っていき、ツバメがそこら中を飛びまわり、 大自然を感じさせることが本当に多いキャンパスで、 カブトムシやクワガタが普通に歩いていたりもします。 大変なことも多いですが、これはこれで案外楽しいです。 今のサークル棟は、その角間キャンパスの中でも少しはずれのほうにあって、 講義棟、学生会館から離れています。 休み時間などに足を伸ばすと、いつのまにか講義十分前になっていたりして、 大慌てで(もしくは遅刻覚悟でのんびりと)講義棟へ向かう羽目になったりします。 それでも部室には部員が数名常駐していて、楽器を弾いていたり、 バカ話をしていたり、と、まあこれは何時の時代でも同じではないでしょうか。 パート練習は、部室と少し離れた学生会館の部屋で行っており、 合奏は基本的にサークル棟の上の階にある共同の合奏部屋、通称「音練3」で行っています。 今のクラブでは、合宿を年数回行っており、春合宿と定期演奏会直前合宿は、 辰口にある「金沢大学研修センター」で、夏合宿は、適当なところに宿を見つけて・・・、 といった具合なのですが、皆さんのころはどうだったのでしょう。 「金沢大学研修センタ―」での合宿は、夜の冷え込みが尋常でなく、 「直前合宿を乗り切った者のみが定演をベストコンディションで迎えられるのだ」 という、なにやら妙なノリを生んでいたりします。 出てくる御飯もなにやら珍妙なメニューが多く、 前回は「しるこ味噌汁」とでも呼ぶべきものが出ていました。 とはいうものの、研修センターに行かないと「演奏会前だ」という気がしてこないから不思議です。 少々と言いつつ長々と書いてしまいましたが、お返事、御感想、お叱りなど、 色々と書いていただければ幸いです。 それでは、失礼いたします。次回の演奏会も、ぜひともご来場ください。 |
| ●ウッチー → 現役部員<12/29(金) 19:09:44> 村地くん、マタマタどうもありがとう。 ちょうど今は冬休みで帰省学生が多く、地元出身の貴君が代表して近況報告いただき、感謝します。 角間はエライ田舎、いや失礼! 自然の中にあるようですね、こんど金沢に行ったら訪れましょう。 え〜と、次回の合演は、6/2(土)金沢であるとのこと。リストラ危機の中で来年どうなるかわからないけど、 できる限り行きたいと思ってます。 “晴れて金沢 時雨れて金沢 やっぱりいい街 第二の故郷” さて、合宿の件、昔は、春に手取川上流の大日金大合宿所(もしかして今と一緒?)で、夏は海近くの敦賀の 光風園でありました。敦賀では何故か服を着たまま海にドボンという悪しき慣習があったんですが、今思うに 事故がなくてよかったよ。合宿で一番の思い出は、厳しい練習よりもパート別の余興大会でしょうか。 実は、私 卒業後も光風園に何度か夏に泊ったことがあります。もう20年以上も前の話ですが。懐かしいね。 ・・・・・ 現役部員からの要望ですし、他のOBの方も当時の模様をお願いします。20世紀を回顧して。 【現役部員と古参OBとの意見交換No.2】 ●一OB → 村地くんへ<12/31(日) 22:19:08> 村地君、コンマス就任おめでとう、というより大変ですね。 貴君のメッセージ大変うれしく拝見しました。 いつの時代にも学生気質はそれほど変わってはいないのですね。 しかし、11月18日はそうした君たちの裏の苦労や努力というものをあまり考えずに、ただ マンドリンクラブがまだ続いている、という懐かしさだけで会場に行きました。 しかし、演奏が始まると我々OBは思わず演奏に引き込まれました。 素晴らしい! と言うのが掛値なしの正直な感想です。 どうして無料で演奏会を開いているのでしょう? この演奏であれば入場料を取ってもっと多 くの人に聞いてもらいたいと心から思いました。 ところで、我々がまだ1桁台の定期演奏会を開催していた頃の話ですが、当時すでに我がクラブ は組織として立派な形態となっていました。 クラブを運営する組織としては、企画委員会があり重要な方針をそこで立案し総会に図っていま した。 また外政マネージャー・内政マネージャーがあり大学外の交渉・大学内の交渉を担当 していたはです。 演奏面では指揮者の元、チーフ会議があり演奏会で演奏する曲目の選定や、チーフ合奏で どのような感じの曲になるのか等のチェックを行っていたように思います。 当時は学生運動がまだ華やかな頃で、私がここで言うとかなり反論があることは覚悟 していますが、実力より理論や理想が先行していたような気もします。 定期演奏会でポピュラーを演奏するなどタブーでしたから。 しかし総会でこうした方針に 反論があったことも事実であり、こうした方向に不満を持った部員が離れて行った時でも あったと思います。 しかし、「プレクトラム音楽の追求と普及」という大命題は見事に村君等の後輩の皆さんに 受け継がれ、先日の定期演奏会で素晴らしいマンドリンオリジナルを聞き感無量でした。 ところで、我々の頃の思い出で必ず登場するのは夏の合宿場所、福井の「光風園」でしょう。 私自信はその後訪れてはいないのですが、懐かしさのあまり「光風園」を訪ねたOBを何人か 知っています。 (もう今は何も無いようですが。) そしてウッチー氏が最初から訴えている、金沢大学校歌ではないでしょうか。 定期演奏会の最後に校歌を演奏することには当時も議論があったことは事実なのですが OBが楽しみにしている、との意見もあり「やめる」という結論は出ませんでした。 これは、当初マンドリンクラブの技術顧問をされ、NHK交響楽団員であった、楠先生が編曲 されたもの、と承知しています。 まだ、楽譜はあるのでしょうか?。 定期演奏会の総てのプログラムが終了し、盛大な拍手に送られて指揮者が退場する。 そして、コンマスが立ち上がる。 いよいよ、校歌の演奏が始まる。 これで、一年間築き上げてきたものが総て終わる。 そんな、複雑な気持ちの中でコンマスの合図のもと校歌の演奏が始まる。 観光会館の大きな幕が静かに降り始め、演奏の終了と同時に幕が閉じ総てが終わった。 そんな満足感、虚脱感を感じたものでした。 まあ、当時の我々は実力以上のものを追い求め、何とか定期演奏会でそれに近い水準を達成 させた、という満足感(自己満足かも?)がそうさせたのかもしれません。 先日の演奏会はとてもスマートでしたし、音楽的にも我々よりははるかに上の水準でしたが 表現は違え同じような気持ちは後輩の皆さんにもあると思いました。 三部の演奏が終了し、指揮者の渡辺君?がメンバーにさりげなくガッツポーズを取ったの見て 会場で感激しました。 ともかく、後輩の皆さんほんとうにありがとうございます。 私はもう50代になってしまいましたが、皆さんの演奏を聞いて新たな気持ちになっています。 マンドリンクラブ40周年をやろう!などという話もあり、このホームページを発展させて ますます素晴らしいマンドリン演奏が継続するよう我々も応援します。 これからもよろしく! 20世紀の最後に後輩の皆さんへ。 2000・12・31 一OBより |
| ●村地くんの返事<2001年 1/3(水) 02:19:38> 早速のお返事ありがとうございます。 どうやら当時のほうが組織自体は相当しっかりしていたようですね。 我々はもう少し努力が必要なようです。 校歌を毎年演奏していたというのには驚きです。 いわゆる「アンコール」として演奏していたんですよね。 いつから演奏しなくなったんでしょう、アンコール曲ならば、 パンフレットの「過去の曲目」にも載っていないので、 調べようもありませんか・・・。 来年の演奏会も、今回の演奏会に負けないよう、 出来うる限りの努力をさせていただきます。 ぜひともまたご来場ください。 |
| ●一OB → 村地くんへ<1/3(水) 22:00:30> 村地君、早速の返事ありがとうございます。 私が思うところ、活動的にも演奏面でもずっと皆さんの方がしっかりしています。 今年、そして来年以降の演奏活動でも素晴らしいマンドリンオリジナルを聞かせて下さい。 ところで、一つ貴君からのメッセージで誤解があるようですので、訂正させて下さい。 それは、校歌の演奏はいわゆるアンコールとして演奏していたのではなく、演奏会の 幕を降ろすときに演奏していたのです。 当時は、アンコールとしての曲を用意する、という意識はありませんでした。 現在の皆さんの演奏会は、レギュラーオーケストラと全く同じスタイルで行っています が、当時我々マンドリンクラブの演奏会は、まず開演前、幕の閉まった舞台上で全員が所定の 位置に着き舞台の幕が上がる一瞬を緊張しながら待ておりました。 どれくらい観客が入っているのだろう? 間違えずに演奏ができるのだろうか、などと それぞれメンバー一同様々なことを考えながら幕開きを待ったものでした。 会場に「只今より金沢大学第○回定期演奏会を開催します」というアナウンスが流れると いよいよ舞台の幕が上がるのです。 そして、当時は必ず女性の司会者が登場しました。 司会者はどのような人が担当したか、という選考基準は私は承知していません。 いつのまにか決まっていた!というのが実情でこの点はウッチー氏がよく承知しているのでは ないでしょうか。 話はそれましたが、この司会者の進行によって一部の指揮者が登場し、演奏会は進んで行き ます。 当時は、演奏の合間にコンマスや部長、パートチーフ等へ花束の贈呈や祝電披露などもあり、 一年を締めくくる儀式の雰囲気もあったような気がします。 そして、すべての演奏が終了するといよいよ演奏会(舞台の)の幕を降ろさなければなりま せん。 校歌は、まさにこの演奏会(会場)の幕を降ろす曲として演奏していました。 したがって、当然演奏曲目にも、アンコール曲にも入っていないのです。 校歌は、当時の我々にしてみれば当然演奏できる、練習する必要の全く無い曲だったのです。 先にも書いたとおり、定期演奏会の幕が降りる間、メンバーは苦しかった練習のこと? 色々あった合宿のこと、彼女にふられたこと、等様々なことを考えながら校歌を演奏して いた、というわけで当時の我々にとってみると特別の想いがこの曲にはありました。 現役の皆さんには信じられないかもしれませんが、幕が閉まった舞台上で何人も泣き崩れて いたものです。 現在の演奏会のスタイルでは校歌を演奏する、などという考えは出てこないことは当然で それだけ、クラブの音楽性が高また証拠なのかもしれませんね。 しかし、21世紀になって30年後の皆さんとクラブの話ができることが夢のようです。 これが、新しい時代の成果なのですね! これからの皆さんの活躍を心から願っております。 2001・1・3 一OBより |
| ●村地くんの返事<1/4(木) 02:37:04> 校歌は幕を引くときの曲だったのですか、 それでは曲目に載っているはずもありませんね。 実は我々も、例年は幕を使った演奏会を行っているんですが、 今年は文教会館でステージに幕がなく、あってもステージが小さすぎる、 と言う理由で、例外的にああいった形の演奏会となったんです。 一昨年のステージでは、私も緊張しながら幕が開くのを待っていました。 今年の評判も悪くなかったので、これからはこの形を通すことになるかもしれません。 今回の定演では、泣き崩れる者こそいませんでしたが、大勢が目に涙を浮かべつつ、 涙を流しつつアンコール曲の「祈り」を演奏していました。 これを最後にチーフ陣も入れ替わり、四年生も活動から徐々に離れていくので、 やはり「一年の締めくくり」といったイメージがあります。 夏合宿のこと、喧嘩したこと、いろいろなことが思い返されました。 校歌の楽譜は残っていました、が、最近では弾く人も居らず、 静かに棚の中に眠っています。 |
| ●ウッチーの返事(当時の司会者)<1/4(木)
15:08:29> KUMC現役部員とOBとの間で、世紀をまたがった意見交換が盛り上がってますね。 標記の件なんですが、私は定演実行委員長の経験がなく、よく知りません。スミマセン。 たしか金大放送研究部か教育学部の女性が司会をされていたように思っているんですが、 どなたかご存知でしたら教えてください。 |
| ●S48ーOBより(当時の司会者)<1/5(金)
09:20:33> ウッチー様 当時の司会者は第9回定演で永井先生と岩淵さんに挟まれて写っている築山さん ではないでしょうか。 本因時?での定演前合宿のリハーサルに来られたのを鮮明に覚えております。 |
| ●ウッチーの返事(当時の司会者)<1/5(金)
12:19:53> ハイ、正解! 築山御前です。(当時のプログラムで確認) しかしながら、ようそんな昔のことを覚えてまんな。 サスガ、金大マンドリン楽部の卒業生! ところで、寺町の本因寺は今もそのままでしょうか? 囲碁の本因坊との関係はありやなしや? |
| ●S48ーOBの返事(現在の本因寺)<1/5(金)
15:31:49> ウッチー> ハイ、正解! 築山御前です。(当時のプログラムで確認) しかしながら、ようそんな昔のことを覚えてまんな。サスガ、金大マンドリン楽部の卒業生! お褒めに預かりまして恐縮至極でございます。 ウッチー> ところで、寺町の本因寺は今もそのままでしょうか? お寺はそのままですが中身(和尚さん)は代替わりしたはずです。 テレビのボリュームを最大にして、こちらが話しかけても答えてくれない和尚さん、 懐かしいです、今ごろは極楽浄土でテレビ見てるんでしょうかね。 ウッチー> 囲碁の本因坊との関係はありやなしや? あるわけおまへんがな |